野々市市読書会連絡協議会創立40周年記念講演会
先頃、野々市市読書会連絡協議会創立40周年記念文学講演会「室生犀星とふるさと」は9月13日予定通り行われ、42名の参加をいただき盛会のうちに終了しました。講師の嶋田さん、来賓の中村会長、村井会長ありがとうございました。ご参加いただいた読連協の皆さん、短歌協会の皆さま、野々市市以外の遠方から参加いただいた皆さま、ほんとうにありがとうございました。以下、講演の様子の画像と講演記録のテキストでご報告いたします。






野々市市読書会連絡協議会 創立40周年記念 室生犀星文学講演会「室生犀星とふるさと」議事録
開催概要
主催:野々市市読書会連絡協議会
共催:野々市市短歌協会
後援:石川県読書会連絡協議会・野々市市文化協会・学びの杜ののいちカレード 図書館
日時:令和8年9月13日
会場:学びの杜ののいちカレード 図書館
録音記録に基づく(松林 氏)
講師:嶋田亜砂子 氏(室生犀星記念館 学芸員)
演題:「室生犀星とふるさと」
1.開会および来賓祝辞
野々市市文化協会 会長 中村 昭一 氏
読書会連絡協議会の創立40周年に祝意を表明。文化協会も同じく40周年を迎え、記念のアフタヌーンコンサート(10/2開催予定)の整理券配布状況など文化活動の盛況を報告。読書を通じて仲間と意見を交わし人生を豊かにしてきた40年の歩みに敬意を表し、今後の協議会の発展を祈念。
石川県読書会連絡協議会 会長 村井 加代子 氏
昭和61年(1986年)の発足以前、昭和39年(1964年)の「野々市町婦人読書会」結成(現・野々市市読書会連絡協議会)まで遡る野々市の読書活動の歴史(初代会長・故 北村 倫子氏の記録等)を紹介。高齢者や生活様式の多様化といった現代の課題に触れつつ、多様な情報が氾濫する今こそ、人間としての生き方をじっくり考えさせてくれる書物と読書会の対話の場が重要であると強調。
主催者挨拶(藤井会長)歴代会長の歩みを受け継ぎ今後も活動を充実させていく決意を表明。犀星が俳句や詩から出発した背景に触れ、短歌協会の共催への謝意を述べた。
2.記念講演「室生犀星とふるさと」(講師:嶋田 亜砂子 氏)
(1)生い立ちと自伝的小説の世界 不遇な幼少期と育ち
明治22年(1889年)、旧加賀藩士・小畠弥左衛門吉種と女中との間に私生児として出生。生後間もなく犀川大橋のたもとにある雨宝院住職・室生真乗の内縁の妻(赤井ハツ)に引き取られ、血のつながらない環境で過酷な育てられ方をした。実母への思慕と、自らを卑屈にさせた境遇への「見返してやりたい」という負けん気(復讐の文学の原点)が形成された。自伝的作品の虚実作家デビュー作『幼年時代』、その後の『弄獅子(らぬさい)』『作家の手記』などで幼年期を描いたが、これらは事実の記録というより、自己の文学性を深めるために再構成された「自伝的小説」である。実家・小畠家との交流は後年に甥の小畠貞一(詩人)を介して深まったものであり、作品中の描写には創作や当時の願望も多分に含まれている。
(2)文学形成の軌跡:短歌・俳句から自由な詩、そして小説へ
金沢地方裁判所の給仕時代に俳句を覚え、10代で数百句を発表するなど少年俳人として頭角を現す。北原白秋に憧れて詩人を志し、20歳で上京。短い定型の中に感情を凝縮させる俳句から、文語・口語の自由な詩へ、そして散文・小説へと表現を拡大させた。内に溜め込んだエネルギーの開放が、後の旺盛な執筆力(多作)の源泉となった。
(3)ふるさととの二度の決定的な出会い 犀星の文学において「ふるさと・金沢」が大きな転換点をもたらした時期は2回存在する。
第1の出会い:挫折からの帰郷と抒情詩の開花(大正初期)20歳で上京するも生活苦と挫折を味わい、明治45年(1912年)夏に帰郷。失意のなかで金沢の自然(犀川の蛇籠、雨降り坂、しぐれ等)に再会した。代表詩「小景異情 その二」(『抒情小曲集』所収)の「ふるさとは遠きにありて思ふもの/そして悲しくうたふもの」は、金沢にいながらにして詠まれた詩である。ふるさとの風景に深く癒されつつも、「このまま埋没してなるものか、何者かになるまで遠き都で闘うのだ」という強い決意と望郷の念が交錯する中で、独自の詩堺を確立した。
第2の出会い:関東大震災後の滞在と閑寂の美(大正12年~14年)大正12年(1923年)の関東大震災直後に長女・朝子氏を連れて金沢へ戻り、約1年3か月滞在。初の随筆集『魚眠洞随筆』などを執筆。犀川の川魚(特にゴリの生態や食味)を細密に観察・描写した「川魚の記」に代表されるように、身近や金沢の風土を慈しむ「閑寂の美」「静謐な境地」を開拓した。再上京後も「風景ヒステリー」と称して天徳院の天領に草庵を建てて庭造りに情熱を傾けるなど、生涯にわたり金沢の風土に精神的な拠って立つ場を求めた。
3.質疑応答および意見交換
Q1.映画化された『密のあわれ』の魅力と上映情報について(参加者)
A1(嶋田氏):金沢三文豪キャンペーンの一環としてシネモンドで上映予定。晩年の犀星は自伝的写実にとどまらず、老作家と金魚の少女の対話を描いたシュールで現実的なファンタジー小説など、生涯挑戦を続け幅広い作風を残した。
Q2.幼少期の喧嘩っ早さや「負けん気」について(参加者・短歌協会 中西氏)
A2(嶋田氏):義侠心が強く筋を通す性格であり、土岐に独善的と見られるほど強い自己の芯を持っていた。その激しさが作品の力強さを支えている。
Q3.幼少期の「復讐心」やコンプレックスは晩年どう決着したか(参加者)
A3(嶋田氏):昭和10年代の私小説等までは世の理不尽に対する強い反発が色濃いが、晩年は自らの中で徐々に昇華・吸収していったと見られる。かつて蔑まれた母校・野町小学校の校歌作詞を引き受け、自身の幼少期の辛い記憶を滲ませつつもユーモアへと変えて受容していった過程に、その心の変化がうかがえる。
Q4.若い世代に室生犀星の魅力を一言で伝えるならどう表現すべきか(松林氏)
A4(嶋田氏):犀星は多面的で一つの型に収まらないが、動植物や自然、あらゆる対象に対する「研ぎ澄まされた感覚の鋭さと深い共感性」こそが最大の魅力。
所感(会場・松林氏・藤井氏):感性を磨く対象としてうってつけである。また、落第や不遇な境遇を学校教育ではなく自らの力で切り拓いた点、出世への執念やヤンキー的な反骨精神と繊細な寂しさを併せ持つ二面性は、現代の若者にも強く響くはずである。
Q5.「小景異情その二」に見るふるさとへの屈折した感情(参加者)
A5(嶋田氏):単なる手放しの郷愁ではなく、落ちぶれても帰るまいとする都への決意が詠まれている。しかし犀星の作品に通底しているのは、ふるさとを否定・断罪することではなく、自らを育んだ風土の美や生命への純粋な感動である。
Q6.信仰心・死生観および生活ぶりについて(堤氏)
A6(嶋田氏):雨宝院で育ったため、本人は「無宗教」を標榜しながらも、庭に妻の墓を建てたり友の命日に語りかけたりと、死者や異界との交流が身体に染みついていた。金銭や不動産への執着は薄く、原稿料を骨董や庭石に投じるなど宵越しの金を持たない無頼な一面もあった。
4.閉会
主催者より、犀星のふるさとへの複眼的な思いを通じて作品世界を捉え直す好機となった旨の総括がなされ、盛会のうちに閉会した。
※当記録は、読書会連絡協議会公式ホームページにも掲載しております。当会の過去の活動をご覧になりたい方はこちら↓をご覧ください。











